りかさんのぼっちブログ

日常のアレコレを投稿しています。

義弟が脳出血で倒れてから1年が過ぎました。

去年の10月中旬の事です。義弟が脳出血で倒れて病院に搬送されたと連絡が来ました。

10月のある日

photo AC=Haru photography様

転勤族の義弟は、ここ何年かは実家から

通える場所での勤務でしたが

8月に転勤の辞令が出て

遠くの県に引越しをしていきました。

それからわずか2か月半後に具合が悪くなり

救急搬送される事態となりました。

その朝!激しい頭痛に苦しみながらも

なんとか自分で救急車を呼ぼうと「119番」

にかけている途中で、意識が無くなったのですが

通話が繋がっていたので

義弟のいるアパートが分かり

救急隊の方々が窓を壊して

義弟を見つけてくださり、病院に搬送されました。

あの時、もしも電話をかける事が出来なかったら……

そう考えると怖くて、こわくて……

本当に119番にかける事が出来て良かった!

電話が繋がり、命がつながって良かった!

本当に感謝!感謝!

いつもこの事を話題にしています。

そして……義弟は

緊急を要する病状でしたので対応できる病院まで

ドクターヘリで搬送されました。

喜んだのもつかの間!

病名は脳出血でした。

その日の病院からの一報では、意識はあり

『なんとか会話が出来ている』とお聞きしていたですが

翌朝に状態が悪くなって、昏睡状態になり

今から開頭手術をして

広がった出血部分を取り除きます。

そう連絡がありました。

飛行機の手配し、義弟の両親とパートナーさんは

病院に向かいました。

コロナ禍じゃあなかったら、すぐに病院内に

入る事ができたのでしょうが

PCR検査をしなくては、院内に入れないし

その検査も時間がかかり(病院の方々もお忙しいでしょうから 仕方がありませんが……)

近くに来たのになかなか会うことが出来ませんでした。

病院横の仮設のプレハブ小屋で3時間ほど待機していたら

義弟の担当の看護師さんが迎えに来てくれました。

現実を思い知らされた!

photo AC=4.14WORKS様

会った瞬間!は、ただびっくりして

本当に……これが現実なのか?

まさか……そんな……本当にほんとなのか?

ベッドに横たわる弟と対面しても

すぐには信じることが出来なかったそうです。

意識がない弟、まったく反応が無い弟。

たった2か月半前の転勤する前日に

一緒に食事をしてビールも飲みながら

談笑したばかりなのに……

こうなる前に、なにか防ぐことは

出来なかったんだろうか?

色々な事が頭に浮かんできたそうです。

医師からの説明では…(詳しい説明を受けたのですが その内容を正確に私や他人に伝える! というのは難しいそうです。)

とりあえず、私に説明出来ることは

脳出血の手術は成功した事。

だけど……脳の圧迫が大きかった?

脳に負担がかかり過ぎた為、障害が重くなる。

と……そう伝えられたそうです。

義弟の通院歴!

このような事になる前に予防は出来なかったのか?

そう思いますよね。

今まで、お互いに健康面の話しをする事は

なかったようでしたが……

転勤族の義弟さんは独身で、今年で47歳です。

ここ3年ほどは、勤務先が実家から通える場所でしたので

自宅から通っていました。

自宅では、お義母さんがきちんとした日々の

食事を作り、健康的なメニューを食べていましたが

チューハイやビールもよく飲んでいたし

夜中にカップラーメンやお菓子も頻繫に食べたり

友達との外食の機会も多かったようです。

何が良くて、何が悪かったのかは?

食生活の改善だけで防げたのか?

赴任先の気候の変化が影響したのか?

転勤がストレスになったのか?

考えても考えても分かりません。

病歴は痛風高脂血症で内科に通院し

内服薬を処方されていましたし

倒れる、2日前に転勤先の内科を受診し

同じお薬の処方を受けていたので

本人もきちんと健康面に配慮していたと

思います。

(食生活は独身で料理を作る事はしていないようでしたが…)

内科の受診を続けていたのですから

脳出血の原因の1つでもある「高血圧」‼

の診断が出ていたなら

痛風コレステロールを下げる薬の他に

血圧降下剤も処方されていたと思いますが

お義母さんも義弟から、「血圧が高い」という

話しは聞いていませんでした。

1週間が過ぎても…

義弟の病院に近いホテルに4日間!滞在し

短時間ですが、面会を続けましたが

意識は戻ることはありませんでした。

手足を動かしたり、うわ言をいったり

時々!薄目を開ける時があったりと

もう目を覚ますのではないかと思うほど

生きてるんだ!と強く感じる反面!

弟さんのあまりにも変わり果てた姿に

気持ちが沈んでいく、なんでこんな事に

なってしまったのか……

その年の春に私の父が亡くなった時!にも感じた

私達、なんか悪い事したかなぁ~?

なんかの罰なのかなぁ~?

そう思ってしまう程、気持ちが沈んでいきました。

(私の父は諸事情により、10日間行方不明になりましたが 善意の方々のおかげで発見されました)

落ち込んでばかりはいられません。

滞在中にも、色々な雑務もしなくては

なりません。

遠い所なので頻繫に来ることが出来ないので

義弟のアパートの部屋を簡単に片付けたり

弟さんの貴重品をまとめたり、配達される郵便物の事や

アパートの方々にご挨拶したり

勤務先の上司や同僚さんと面会したりと

病院での各種の手続きなど

やる事がたくさんあったようです。

病院から連絡がきました。

4日間の滞在はあっという間に過ぎて

自宅に帰ってきても、意識が戻らない弟さんが

心配で心配で…毎日の生活もうわの空だったと思います。

近所の方に大病院の看護師をしていた方が

いらして、その方がお義母さんに

「A君は若いんだから、回復力があるから大丈夫だよ。 脳出血後はすぐには意識が回復しない事も 多いから、もう少し待ってみようね。」

そうアドバイスを頂き

お義母さんを励ましてくださいました。

それからしばらくして病院から連絡があり

意識が戻りました!との吉報を頂きました。

弟さんの耳に電話をあててくださり

お義母さんが呼びかけると「うーうー」という

声も聴くことが出来たようでした。

2回目の面会では!

それからしばらくして、パートナーさんとご両親は

11月下旬頃に、2回目の面会にむかいました。

病院では、面会前のPCR検査から始まります。

仕方のないこと事ですが、今回も長く待った後に

ようやく弟さんに会えました。

(その時のご時世で会える事が出来ただけでも ラッキーだったと思います。他県からの面会なので 配慮して頂いたのか?詳細は不明です。)

面会室で待機していると

車椅子に座った弟さんを看護師さんが

連れて来てくださいました。

お義母さんが声をかけるとうなずき

お父さんの事も、お兄ちゃんの事も

お母さんの事もちゃんと分かるって!

という事が伝わり、ホッとしたと言っていました。

本当に良かった!良かったです(^_^)

ほんとうに 本当によかったです。

声を出すことは出来ても、意味のある文!

伝わる言葉にする事が出来ない!

何を喋ってるのか、分からない状態でした。

その後 担当の医師からの説明では

最初に聞いた事と同じだったのですが

左側の脳に脳出血がおきた為に、右半身が麻痺していて

言語障害もありますし

かなり障害が重いと聞かされました。

リハビリを始めていますが、どこまで回復するかは

様子を見てみないと分からないというお話しでした。

でも最初に会った事を思えば

意識が戻り、目を合わせて話しかける事が出来るし

聞き取れないのは仕方がないですが

こちらが言っていることは理解して

答えようとしてくれる事に安心して

これからの事はその都度考えて

とにかく命がある事に感謝!感謝!

119番で対応してくれ方

素早い判断でアパートに向かう指示をしてくれた方

アパートで弟を発見し搬送して頂いた救急隊員の方々

ドクターヘリの操縦士さん、同行してくれた医師

弟さんの救命に全力で対応して頂いた医師や看護師さん

手術に関わった全ての方々に感謝申し上げます。

ありがとうございました。

病棟内でもお世話なりました、全ての方々にお礼申し上げます。

※今回の記事はパートナーさんと弟さん、ご両親に許可を頂き 私(すてきいいねこ)とパートナーさんのラインに残された やり取りとお義母さんへの聞き取りを元に書いています。

この記事の病院から地元の病院への移動を

含めた、今の様子などは次回に続きます。

アイキャッチ画像:photo AC=bridge様

それでは最後までお読みいただきありがとうございました。