りかさんのぼっちブログ

日常のアレコレを投稿しています。

〖認知症の母について〗母のプライド!私の気持ち!これからも母と共に!

認知症の母について〗の続きになります。

2018年に母の様子がおかしいと思う様になり、父と相談して病院を受診して

認知症」の診断をうけました。

それからの事について書いていきます。

父が亡くなった。

認知症が確定してから約2年後の2020年の春に父が亡くなりました。

84才だった父は「そろそろ運転するのをやめようか?」

「もう1年乗って、85才になったら免許証を返納しようか?」

そんな風に話していたけど、まだまだ元気に海に行って釣りをしたり

畑でたくさんの野菜を作り、干し芋作りに自家製味噌作りに

釣ってきた魚をさばいて干物にしたりと84才には見えない!ほど

体力も気力も十分にある父でした。

いつも好きなように、好きな時に出かけていました。

あの日!春にしては、とても暖かい日に出かけたまま帰って来ませんでした。

朝に父に「じいちゃん。玄関にツバメがいるよ!」

父は「そうか~今年は早いなぁ~」と言いました。

それが最後の父との会話になりました。

詳しくはお伝え出来ないのですが、あちこち探しても

父を見つける事が出来なくて、やっと会えたのは10日後の事でした。

母には、どこに行くか言ってたかもしれませんが

覚えていないのか?父が言わなかったのか?

出かける前に喧嘩でもしたのか?情報を得られませんでした。

父が帰って来なくても、母は取り乱す事もなく、黙々と父の物の片付けをしていました。

お葬式の時は、泣き崩れる事もありましたが、コロナ禍という事もあり

列席者は家族と限られた親戚関係だけでしたが、皆さんともキチンと挨拶する事も出来るし、お坊さんにも丁寧な対応が出来て「認知症?なの?」思うほどでした。

お世話になっていたご近所さんに挨拶する時もキチンと対応していましたが

家に帰って、母がいつもの髪のセットを始めた時に

母の兄妹や姪っ子が来ても、なかなかドライヤーが終わらなくて(前回の記事に書いた様に、1時間以上!ドライヤーで髪をセットするので、声をかけても出て来ません。) 「あと!1時間かかるから…ごめんなさいね~」と誤って帰ってもらう事もありました。

それからの毎日も、自分のペースでいつもの時間に食事をとり

同じ時間に散歩に行くなどして過ごし、色々な葬儀後の法要の時はキチンと対応していました。

ディサービスに通う!

父が送迎してスイミングスクールに毎日のように通っていましたが

私は時間の都合がつかないし、父が心配していた様にプール内で

トラブルが起こったり、母が何をしているのかが分からないので

「送り迎えが出来ないから、続けられないんだけど…」と説明すると

「そうやな~」と無理を言う事はありませんでした。

スイミングスクールの代わりにディサービスに通わないか?と母に聞くと…「行きたい。家に居てもする事何にもないし送迎してもらえるし、行ってくるわ」とのことでした。

父が居た時にディサービスの見学に行っていたので、どうゆう感じなのか分かっているから、すんなりと話しが進み、介護認定されていたので1週間後には通い始める事ができました。

今は、週に3回の午前中だけ利用しています。

母は要介護1の認定を受けています。

初日は、11時過ぎにディサービスから電話がかかってきて

「お腹が空いたから、もう帰りたい」と言っていますがお迎えに来れますか?

ええええっ!(>_<)となりましたが、それ1回だけでした。

いつも11時頃にお昼ご飯を食べているので、お腹が空いてしまったのですね。

それからは、カバンに飴やちょっと 内緒でササッと食べれる物を持っていってるようです。10時頃?におやつの時間があるようですが、出てくるお菓子が口に合わないし、出されるお茶も「まずくて飲めない」って言って、水筒に入れた自分のお気に入りの伊藤園のお茶を持って行っています。

ディサービスでは、様々な決まりがあって、その中にお金を持ってきてはいけません。というのがありますが、母がディサービスで知り合った方に頼まれた物を買ってきてあげてその代金を受け取っていたのを職員さんに注意されたのが、納得いかなくて「もう行くのやめようかな?なんで、あんな事を言われやなあかんのさ(。-`ω-) と1週間以上 思い出しては、腹を立てていました。が何とか続いて通っています。

ディサービスでは母が1番元気なようです。

ほとんどの方が杖をついたり、一人では歩けなかったりする人が多い中で

母だけがシャキシャキでスタスタと早歩きが出来て、ディサービスの中の

機械を使っての5種類の筋トレメニューを全てこなし、タブレットを使った脳トレ問題も

難しいものにも挑戦しているようです。

他の利用者さんにビックリされているんだと母から聞きました。

職員さんの助けを借りている方が多い中で85才にもなる母の行動は

1番活発でスーパーおばあちゃんだと思います。

ディサービスに居る3時間半!目一杯動き!脳トレもするので

その夜はぐっすり眠れる。というのも、不眠症の母には嬉しいみたいで

ディサービスで嫌な事もあるようですが、喜んで?仕事に行くように

めちゃくちゃオシャレして行っています。

ディサービスに行く事がおしゃれが大好きな母の張り合いになっているようです。

ディサービスの利用者さんの中には、「ここに来たくないのや」とか

ずっとうな垂れて、何もしない方も居るようなので、母がやる気満々でディサービスに

通ってくれる事が私にとってもありがたい事です。

母に戸惑う私

認知症と診断された頃は、父と私で支えていかなくてはとの思いでいましたが

母の症状がひどくなってくると、父と言い合いになっているのが私のいる方にも

聞こえてくると、何とも言えない気持ちになり…………

何に戸惑ったのか?

・別人の様になった母 ・母を見るのが辛い ・これからどうなっていくのか?不安 ・母の態度や言い方に嫌な気持ちになる自分 ・どう対応したらいいのか分からない ・父の心のケアはどうしたらいいのか?
色々な不安ばかりが押し寄せてくるし、二人の言い合いを壁の向こうで聞きながら、心臓がドキドキして、私の心も重くなって逃げ出したくなりました。
その頃は、私と父がいると(二人で、母の悪口を言っていると思われたり)母の妹の叔母さんが来ても(悪口を言ってる!)と言い、会うのを嫌がりました。
私が父にみかんの1つでもあげたりすると、ひがんで「じいちゃん ばかり大事にして、あんたは、じいちゃんの方がええんやろ」と言ったりする事もあり、だんだんと、父や母の方に行くのが遠のいてしまいました。
畑に居る父を見つけるとそこで様子を聞いたりしていました。

怒りっぽくなった母に

認知症になってから 父に注意をされる事が増えてきたけど母にしたら「なんでそんなに怒られなきゃいけないんだろう?」(認知症の症状の多動や同じ動作を繰り返すや時間の感覚がおかしくなっていた事で父が参っていた。)という思いでいっぱいだったのだろうと思います。

今ではどんな時に声をかけるとキツイ返事が返ってきて、私の心にダメージがくるぞ!!!

というのが分かってきたので、対応できるようになりましたが

最初の頃は、良かれと思ってした事に

なんや!!!

ほっといてや!!!

なんや!! by母

ただ手伝おうとしただけなのに。差し入れするのに声をかけただけなのに。

キツイ声でこう言われると、お豆腐メンタルな私の心がやられてしまうし

腹も立つし、いつまでも心がモヤモヤしてしまうのでした。

今の対応

どういった時に話しかけるとバツなのか?

母が何かをしている時に話しかけると怒ったような返事がくる事が分かったので

そうゆう時には話しかけません。外にいる時(散歩や洗濯物を干している時など)や

台所で料理中も話しかけません。

椅子に座ってテレビを見ている時なら穏やかな表情と返事をもらえるので

その時まで待つようにしています。

母のプライド

母は、私にも周り人にも、世話になりたくない。世話をかけたくない。

という思いがすごく強くて、一人で何でもやりたがります。

それに、まだ一人で何でも出来ます。

買い物も、私が居てもタクシーを呼んで一人で行ってしまいます。

テレビショッピングを見て気に入った物があると、自分で電話をかけて

住所、氏名、年齢に電話番号も伝えることが出来て購入しています。

病院の予約も、薬の管理も自分で出来ています。

父の死後は

父が亡くなった後しばらくは、母の食事の用意をしていましたが

私が作ったご飯は口に合わないようで、食べずに食器棚に入れられてカビが生えていたり

ゴミ箱に捨てられていたりするので、頻繫に買い物に連れていって

好きなものを買って食べる様になりました。

母がディサービスに行っている間に、冷蔵庫や食器棚などを確認して 傷んだ物がないか?チエックして捨てています。 買ってきた物をどんどん入れていくので、奥の方にめちゃくちゃ古い食品が 見つかるので、定期的にしています。 母がいる時はしません。 綺麗好きの母だったので、自分でもあちこち汚れていると気付いている様で 見られるのを嫌がります。毎日 掃除機の音が2~3分聞こえてますが 同じ所しか掃除機をかけないようで、部屋には埃がたくさんあります。
今は、母が歩いて行くには少し遠いぐらいの距離にある小さな魚屋さんで惣菜を購入しています。
仕出し料理も作っているので、惣菜も販売しています。味付けも気に入って母が電話で今日は何が販売しているか聞いてお願いすると3時過ぎに家に届けてくれる様になったので、その魚屋さんの惣菜を食べる日とスーパーで購入した物を食べる日と半々な感じです。
たまに「○○が食べたいから作って!」と言われて作る日もあります。

母の症状が改善された?

色々な認知症の本を読んでいますが、どの本も今の母の症状に合うものがないように感じます。

母の症状が改善している?認知症はだんだんと症状が重くなると聞きますが何故か?今の母は、4年前よりも進んでいないように感じます。

上記に書いたように

  • 自分でテレビショッピングで買い物の注文が出来る。
  • 自分で薬の管理が出来る
  • 病院の予約や予約時間の交渉が出来る
  • 遠くのデパートにタクシーと電車を使い行く事が出来る。
  • 遠くの病院にもタクシーと電車で行く事が出来る。
  • 出かけても家に帰って来れる。
  • 身だしなみを自分で整えることが出来る。
  • 金銭の管理が出来る。(財布の小銭を使って支払いが出来る)
  • 火の元や電気を消したりとかを気にしてチエック出来る。
  • トイレが使えている。
  • 何かの予定日を覚えている。
  • (忘れる事も多々ありますが、前日に伝えると覚えている)

さまざまな事を自分で出来ています。

認知症の診断が早かったので、認知症の薬を使用するのが早く出来たので、進行を抑えることが出来ている事や父が亡くなった事で、母が自分の思う様に生活出来る事や自分で生きていかなければならない、私に世話をかけてはいけないとの思いが強くなって、症状を改善出来ていると考えられます。

去年の介護認定の再調査の時にあまりにも母の様子が認知症とかけ離れていたので、その時の要介護1から要支援に代わるのではと思われましたが、そのままの要介護1の認定となりました。公的な機関が判定したので、やはり認知症で介護の必要があるという事なんでしょうね。

母とこれからも

今の母の処方されている薬は

  • 入眠を促す薬が3種類
  • うつ状態を改善する薬が2種類
  • 便通改善する薬が3種類
  • 認知症の貼り薬
  • 骨粗鬆症の薬(骨粗鬆症の注射もしています。)
  • 痛み止めの薬
  • 痛み止めの貼り薬
  • その時々で頓服薬

たくさんの薬を自分で管理して服用しています。

まだまだ自分で生活出来ている母に感謝すると共に

もう少し私に頼って欲しいと思ったりしますが

これは母の性格だし、私の性格も母に似ていると思う事がありますので

世話になりたくない。という思いもよーく分かります。

これからも よく母を観察して、一人で出来ない事はないか?

症状や体調に変化はないのか?薬はきちんと服用しているか?

などに注意して見守っていきたいと思います。

何冊かの認知症の本を読むと症状がどんどん進んでいき

発症から10年で半数が寝たきり状態になってしまうと

書かれている本もあり、これからの事を考えるとどうなっていくのか?

不安で胸がドキドキ モヤモヤしますが、なるようになるさ!

起こってもいない事を心配してもしょうがないやん!

と気持ちを落ち着かせながら日々を過ごしています。

母の認知症の症状はすごく軽い症状なので、こんなことでくよくよしてたら

あかんでしょう。もっと深刻な認知症の家族の介護をされている方の事を

思うと序の口だと認識しています。

色々と読んだ認知症の本の中でこちらがわかりやすく、心にささりました。

私たちは聖人君子ではありません。 認知症の人の気持ちに寄り添い、つねにあたたかく接するなんてことは 出来ないかもしれません。それでも、お互いにわかり合おうとすることや いたわり合うことをあきらめてはいけません。本書には、そのための ヒントがちりばめられています。 やがて、65才以上の5人に1人が認知症になると言われています。 誰にとっても認知症が「自分ゴト!」となりえる時代が すぐそこまで来ているのです。 認知症は早めのケアを行い、そしてまわりの人に正しい知識があれば 認知症になっても自分らしく暮らせます。 まずは認知症を正しく知ることから始めましょう。 その知識は認知症の方にも、自分ゴトの時にも役立つでしょう。 参考元:マンガでわかる認知症 監修:内門大丈様 発行所:株式会社 池田書店 

最後に・・・

私の性格は内向的で、変な性格だし、更年期でもあるのか?

気分のアップ⤴ ダウン⤵が激しくて(>_<)

ヨシ!(^o^)丿と思ったら、1時間後には、は~もうダメだぁ~となったり

なんか分からず落ち込む毎日ですが、ボチボチと母を支えながら

過ごしていきたいと思います。

アイキャッチ画像のフレーム:写真AC:ぴぴふぉと

それでは最後までお読みいただきありがとうございました。